あやかしざくら

「日本人は、桜が好きですね」
 唐突に言い出した竜崎に、僕も相沢さんも局長も、ふいをつかれてきょとんとした。
 ホテルのスイートルームの窓から、探偵が珍しく下界を見下ろしている。眼下には大きな庭園があり、今まさに桜が満開だった。
 文字どおり淡い桜色に縁取られた堀割と、散策路を囲むように植えられている桜の森は、上から見ると全体がぼうっと薄いピンクで、僕は何だか桜色の雲の上にいるような気分になった。
「竜崎は好きじゃないんですか? 桜」
 素朴な疑問を口にしたら、横で相沢さんが「なんてくだらないことを聞くんだ松田」と小声で囁いた。
 だって……桜を見下ろす竜崎の顔が、なんだかイヤそうだったんだ。
「そうですね。上からこうして眺めていると、少し吸い込まれそうな気分になります。ですが、嫌いなのかと問われたら、そうではない気がします」
 好きなのか嫌いなのかよくわからない答えが返ってきた。
 竜崎にしては珍しい。
「桜の花というのは、妖の花ですね」
「あやかし?」
 あやかしというのが「妖」だと気づくまでに、僕は数秒かかった。竜崎は時たま、日本人でも滅多に使わないような古めかしい言葉を使う。おかげで僕は「ネイティブなのに、案外松田さんは日本語を知りませんね」なんて言われている。どうせ僕は現代っ子で、言葉もしきたりも伝統も歴史も疎いですよ。
 そんなことを考えている間に、竜崎はまたじっと桜の森を見つめていた。だんだん陽が落ちてきて、淡いピンクの雲がオレンジがかった霞になっている。
 それを見つめているさっきとは違って少しさびしそうな横顔に、僕は思わずこう口走った。
「竜崎、下に降りてみますか?」
 その言葉に、竜崎が肩をびくんと肩を踊らせた。そろりと振り向く。その顔がすごくおっかなびっくりな感じで、僕はちょっとかわいいと思ってしまったりした。性格には難ありだし、見た目も鶏ガラで隈どり目だけど、竜崎はたまにこんなかわいい顔をするのがずるい。
「下に、ですか?」
 黒い目、ぎょろりとした目が珍しくキョドる。
「近くで見るとまたキレイですよ。僕、好きなんですよ桜って」
「松田さんが行きたいのなら、つき合ってあげてもいいです」
「じゃあつき合ってくださいよ」
 またそんな言い方をしているけれど、竜崎は大人しく、ほてほてと僕のあとをついてきた。
 天の邪鬼の扱いに、僕も少し慣れてきたらしい。
 ホテルを出て庭園に入ると、一面の桜の花に歓迎された。
 満開の桜が散策路の両脇に立ち並び、どこまでも続く桜のトンネルを作っている。
 さっき上から見ていた夕日はあっという間に沈んで、夜と昼の合間の中途半端な薄闇の中、桜が咲いていた。
 今度は闇の色を吸って青みがかった桜の花びらが風に吹かれて宙に舞う。そのさまは、昼間の桜の清楚な雰囲気とだいぶん違っていて、どこか妖しげな風景に見える。
「逢魔が時に桜を観ると、何か起きそうですね」
 竜崎が僕の背中に呟いた。その声がやけに澄んで聞こえて、逆にそれが人間というより何か別の世界の生き物みたいで、怖くなって振り返る。
 そこには竜崎。
 いつものように白い長袖のTシャツを着て、少し背を丸めて細長い体を持て余しているみたいに、ひょろりと立つ竜崎。
 だんだん闇が濃くなっていく。
 それと比例して桜は、精気を得たように薄闇に華々しく映えた。
「竜崎?」
「桜の木の下には死体が埋まっている、と日本の文豪は言ったそうですね」
「そんなのもありましたねそういえば」
 僕は遠い記憶をたどってみるけど、作家の名前は思い出せなかった。
「松田さんは、どう思いますか?」
「へ?」
「この桜の木の下には」
 竜崎はそう言いながら、僕を追い抜いて大きな桜の木の下にこちらに背中を向けて立った。
「何が埋まっているんでしょうね」
 そして、足元の桜の根を踵を潰したスニーカーでぴたぴたと踏んだ。
「や、やだなあ、竜崎。埋まってるわけないじゃないですか死体とかなんて」
「そうでしょうか?」
 桜を見上げる。
 満開の花をつけた木が、風に揺れて薄紅の花びらが散った。
「じゃあ、欲しがっているかもしれませんね。桜の木が」
 返事をするかのように、桜の枝が揺れて竜崎の肩を撫でた。
 僕はなんだか竜崎が桜の木に取られてしまうんじゃないかという気になって、思わずその薄い体に手をのばして引き寄せ、背後から腕を回して抱きかかえた。
 その途端に、ザワザワと桜の枝がざわめき、僕たちに大量の花びらを降らせる。
 舞い落ちる桜の花が、竜崎の体をするりするりと滑って地面に落ちていく。
 おまえなんかにやるもんかと意地になった僕は、回した腕にさらに力を込めた。
「どうしたんですか? 松田さん」
 竜崎が、僕の顔の真横で不思議そうな顔をしている。
 僕は、ぎゅっと抱きしめている腕を「すみません」と言って緩めた。
「なんか、桜の木が竜崎を欲しがってるような気がしちゃって」
 自分でもおかしなことを言っていると思った。
 照れ隠しに、竜崎から離した手で服のあちこちにひっかかっている桜の花びらをはらって落とす。
「欲しくなったのは私です。桜の毒気にあてられました」
「え? 欲しいって、桜の枝が?」
「ホテルに戻りましょう、松田さん」
「え、桜は? いらないんですか竜崎?」
 ぐいぐいと袖を引く竜崎に引きずられて、僕は庭園をあとにする。
 桜の毒気にあてられて、竜崎は一体何を欲しくなったんだろう?
 
 
 


近所の桜が満開だったのでなんとなくその中に竜崎を立たせたくなった。桜と竜崎。松田のにぶちん!

 

 
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